半田稲荷神社 [鎮守]
今回は金町で降りて、先ずは半田稲荷へ向かう。
創建は、和銅四年(711)とも永久年間(1113-17)ともいわれている古社だ。
享保年間(1716~36)から文化年間(1804~18)の頃に、
深刻な流行り病であった疱瘡や麻疹、安産の霊験で広く信仰を集めたらしい。
赤い頭巾や着物を身に付けた「願人坊主」が、「葛西金町半田の稲荷、疱瘡もかるい、
痲疹もかるい運授、安産御守護の神よ」謡い踊り、江戸中を巡ったことから
歌舞伎や狂言・長唄に描かれまそうだ。
鎮守ではないが歴史ある有名な稲荷である。
入ると直ぐのところにある湧泉井戸だった「半田稲荷神社神泉遺構」は、葛飾区指定有形文化財だ。
囲む石柵には注連縄がかけられ、当時の形状が保存されていて、神聖な雰囲気が漂う。
その石柵の柱や袖石に彫られた寄進者には、市川団十郎・尾上菊五郎などの有名役者も並んでいて、
この稲荷のの繁栄の様がうかがえる。
赤い鳥居が続き、
白狐殿へ。この一対の稲荷様は、区内最古の狐の石像だそうだ。
これも葛飾区登録有形文化財となっている。
藤棚もあり、結構な見頃だった。
参道も長い。
この稲荷が鎮守では無いのは、やはり直ぐ近くに郷社である
葛西神社が或る所為なのだろう・・・
社号 半田稲荷神社
祭神 倉稲魂神、佐田彦神、大宮女神
境内社 大土神社、水神社、稲荷十五神合社
例祭日 2月初午日
住所 葛飾区東金町4-28-22
備考 別当寺三宝院(廃寺)
旧水戸街道に出る。
この道を渡って太日川(現江戸川)の手前にある葛西神社を目指す。
創建は、和銅四年(711)とも永久年間(1113-17)ともいわれている古社だ。
享保年間(1716~36)から文化年間(1804~18)の頃に、
深刻な流行り病であった疱瘡や麻疹、安産の霊験で広く信仰を集めたらしい。
赤い頭巾や着物を身に付けた「願人坊主」が、「葛西金町半田の稲荷、疱瘡もかるい、
痲疹もかるい運授、安産御守護の神よ」謡い踊り、江戸中を巡ったことから
歌舞伎や狂言・長唄に描かれまそうだ。
鎮守ではないが歴史ある有名な稲荷である。
入ると直ぐのところにある湧泉井戸だった「半田稲荷神社神泉遺構」は、葛飾区指定有形文化財だ。
囲む石柵には注連縄がかけられ、当時の形状が保存されていて、神聖な雰囲気が漂う。
その石柵の柱や袖石に彫られた寄進者には、市川団十郎・尾上菊五郎などの有名役者も並んでいて、
この稲荷のの繁栄の様がうかがえる。
赤い鳥居が続き、
白狐殿へ。この一対の稲荷様は、区内最古の狐の石像だそうだ。
これも葛飾区登録有形文化財となっている。
藤棚もあり、結構な見頃だった。
参道も長い。
この稲荷が鎮守では無いのは、やはり直ぐ近くに郷社である
葛西神社が或る所為なのだろう・・・
社号 半田稲荷神社
祭神 倉稲魂神、佐田彦神、大宮女神
境内社 大土神社、水神社、稲荷十五神合社
例祭日 2月初午日
住所 葛飾区東金町4-28-22
備考 別当寺三宝院(廃寺)
旧水戸街道に出る。
この道を渡って太日川(現江戸川)の手前にある葛西神社を目指す。
北条 鹿島神社/熊野神社 [鎮守]
奥戸天祖神社 [鎮守]
熊野神社から中川を渡るとすぐのところにある。
昔は橋がなかったので距離は近いが、全く別の村だった。
社号 天祖神社
祭神 天照皇大神、武甕槌命、経津主命
境内社 浅間神社、諏訪神社、稲荷神社、出羽三山神社、第六天社、古録神社、御獄神社、風雨神社
例祭日 10月10日
住所 葛飾区奥戸2-35-16
備考 旧奥戸村鎮守
奥戸天祖神社はこの地が葛西御厨であった頃、伊勢皇大神を勧請し、
また下総の香取・常陸の鹿島のニ神を勧請して、
三社明神と称し、村の鎮守としたようだ。
これは隣村の曲金(現高砂)も同様で贅沢極まりない・・・
毎年10月に行われる祭礼「大しめ縄神事」では、稲藁を用いて、
約6メートルにもおよぶ大しめ縄を作り、「アクマバライ」と称して旧村内を担いでまわる。
境内社のうち浅間、諏訪、風雨、出羽三山、第六天、御獄の六神社の鳥居。
奥戸の旧役場は中川放水路の底に沈んでいる・・・
昔は橋がなかったので距離は近いが、全く別の村だった。
社号 天祖神社
祭神 天照皇大神、武甕槌命、経津主命
境内社 浅間神社、諏訪神社、稲荷神社、出羽三山神社、第六天社、古録神社、御獄神社、風雨神社
例祭日 10月10日
住所 葛飾区奥戸2-35-16
備考 旧奥戸村鎮守
奥戸天祖神社はこの地が葛西御厨であった頃、伊勢皇大神を勧請し、
また下総の香取・常陸の鹿島のニ神を勧請して、
三社明神と称し、村の鎮守としたようだ。
これは隣村の曲金(現高砂)も同様で贅沢極まりない・・・
毎年10月に行われる祭礼「大しめ縄神事」では、稲藁を用いて、
約6メートルにもおよぶ大しめ縄を作り、「アクマバライ」と称して旧村内を担いでまわる。
境内社のうち浅間、諏訪、風雨、出羽三山、第六天、御獄の六神社の鳥居。
奥戸の旧役場は中川放水路の底に沈んでいる・・・
熊野神社 [鎮守]
鎌倉八幡神社 [鎮守]
亀有香取神社 [鎮守]
しばらくは古隅田川の親水が続く。
亀がのんびりと甲羅干し。
親亀の背中に子亀がのって・・・
本来ならこのまま亀有までと思うが、今日は腰を痛めているため
綾瀬駅で常磐線に乗り亀有まで搬送してもらう。
そこからエスカレーター付きの歩道橋でARIOに向かう。
旧亀有村は古くは亀無郷と呼ばれ、下総国香取神宮の神領地であり、香取神社は
建治2年(1276)本宮の分霊を勧請して郷の守護神としたものであると伝えられるそうだ。
社号 香取神社
祭神 経津主神
相殿 武甕槌命、岐命
境内社 神明社、白山権現社、松山稲荷神社、浮洲稲荷神社、道祖神、遠呂智神社、諏訪神社、水神宮
例祭日 9月18日・19日
住所 葛飾区亀有3-42-24
備考 旧亀有村鎮守、旧村社、旧別当恵明寺
孫の初参りもここでした。
わたしの初参りは亀戸香取神社。
やはり下総の赤子は香取神宮に守っていただくのか・・・
亀がのんびりと甲羅干し。
親亀の背中に子亀がのって・・・
本来ならこのまま亀有までと思うが、今日は腰を痛めているため
綾瀬駅で常磐線に乗り亀有まで搬送してもらう。
そこからエスカレーター付きの歩道橋でARIOに向かう。
旧亀有村は古くは亀無郷と呼ばれ、下総国香取神宮の神領地であり、香取神社は
建治2年(1276)本宮の分霊を勧請して郷の守護神としたものであると伝えられるそうだ。
社号 香取神社
祭神 経津主神
相殿 武甕槌命、岐命
境内社 神明社、白山権現社、松山稲荷神社、浮洲稲荷神社、道祖神、遠呂智神社、諏訪神社、水神宮
例祭日 9月18日・19日
住所 葛飾区亀有3-42-24
備考 旧亀有村鎮守、旧村社、旧別当恵明寺
孫の初参りもここでした。
わたしの初参りは亀戸香取神社。
やはり下総の赤子は香取神宮に守っていただくのか・・・
小菅神社 [鎮守]
小谷野神社 [鎮守]
今回は北部の荒川沿いを探訪する。
昔、小谷野柳原村があり、その村を取り巻くように大きく蛇行した
古隅田川の流路では現在の葛飾区側となる。
江戸中期に東は小谷野村、西は柳原村に分村したそうだ。
更に明治になり村の真ん中に荒川放水路が掘削される。
そこで両村は一部を川底に失ってしまう。
更に古隅田川で分かっていた区界が小菅から南は
荒川放水路となり柳原村は足立区となった。
柳原はいつか歩いてみようと思う。
そんな小谷野神社である。
一番桜のいい絵が撮れた。
都内ではそこそこ長い参道を歩く。
社号 小谷野神社
祭神 宇釈御霊命
境内社 三峰神社、水天宮
例祭日 10月5日
住所 葛飾区堀切4-33-17
備考 旧小谷野村鎮守
さて次は、ここから綾瀬川に沿って北上する。
昔、小谷野柳原村があり、その村を取り巻くように大きく蛇行した
古隅田川の流路では現在の葛飾区側となる。
江戸中期に東は小谷野村、西は柳原村に分村したそうだ。
更に明治になり村の真ん中に荒川放水路が掘削される。
そこで両村は一部を川底に失ってしまう。
更に古隅田川で分かっていた区界が小菅から南は
荒川放水路となり柳原村は足立区となった。
柳原はいつか歩いてみようと思う。
そんな小谷野神社である。
一番桜のいい絵が撮れた。
都内ではそこそこ長い参道を歩く。
社号 小谷野神社
祭神 宇釈御霊命
境内社 三峰神社、水天宮
例祭日 10月5日
住所 葛飾区堀切4-33-17
備考 旧小谷野村鎮守
さて次は、ここから綾瀬川に沿って北上する。