鉾田の海 [ルーツ]
空気が澄みわたり、富士や筑波も見えた。
北には大洗の上に茂木まで連なる八溝山系まで望めた。
冨作さんよ、清太郎さんよ、
江戸から明治の時代はもっと空気が澄んでいて
関東の山々が綺麗に望めたんだろうな・・・
感慨無量なり。
墓参り [ルーツ]
どうやら檀家であったことは確実なのだが、
墓自体はそれぞれの字にあるのだと云われた。
さすれば字の中の墓を探し回るしかないのか・・・
さてさて盆の墓参りだが、鎌ヶ谷、越谷、茂木は済ませた。
九十九里と古河にも行きたいのだが・・・
祖先に感謝を。
何を想う [ルーツ]
この城山で何を想ったんだい?
清太郎さんよう
あんたは冨作爺さんからH家の血の系図を聞いていたのかい?
宇都宮氏も茂木氏も小田氏も筑波山の宮司も
みんな、みんな親戚だって知っていたのかい?
この城山から続く荒橿神社の近くに八田知家が
住んでいたことを知っていて茂木へ辿りついたのかい?
きっとあんたの頃はこんな静かな町ではなく
活気に満ち溢れた北関東で屈指の町だったんだろうな・・・
去年の暮あんたの娘ヤスが旭川で他界しました。
これで俺の爺さん清の兄弟姉妹、
そうあんたの11人の子供たちは誰もいなくなりました・・・
血を辿る [ルーツ]
ここの村史にうちの血のルーツの記述があると3年前に聞いた。
そこで役場の隣の図書館に行ってみた。
あった。
そして同じ血を分けた子孫がこの村にも、
いや、俺が棲む字にも、隣の字にも、その隣の字にも居ることがわかった。
そして内輪揉めと思われる記述まであった。
結局、導かれてやって来たのか・・・
この場所を原点に・・・
原点近くに回帰できたことで、よかっぺ!
嘘か真か [ルーツ]
家に養子にきた曾曾曾爺さんの実家の家伝書に記してはある。
しかし、なあ・・・と独り語つ・・・
でも、まあ大化の改新が他人事には思えなくなってはいる・・・
その鎌足が鹿島の生まれだったと云う説がある。
鹿島神宮に大きく係わっている話なのだが、
こちらも些か怪しいと思ってしまう。
が、しかし、
こんな神社まで実在すると信じてもみたくなる・・・
所詮、ごじゃっぺ親爺だから、しゃーあんめ。
茨城の恥 [ルーツ]
俺のルーツは茨城。
母方はずっと茨城、父方は明治まで茨城。
ごじゃっぺで、でれすけで何が悪い!
しかし、
これはいかん!!!
ビビ姐が怒るのももっともである。
>女に引っかかれたんだろ
>無精ヒゲまで剃ってないっつーことは、奥さんに追い出されたんだろな
>間違いない
宗徳爺さんは立派な方だと昭和の中ごろまでは
住民が口を揃えて云っていたそうな・・・
下妻のイチゴも泣くぜ!
旅の記録2006.2.2 [ルーツ]
筑波山を出立。
八田知家はこの山にも息子筑波為氏を別当として配置した。
まさに関東のシンボルです。
曽祖父清太郎、その祖父冨作、そしてその兄がこの八文字伝弥だ。
天狗党に入り幕政の改革を目指した。
志を果たせずに佃島の牢で病死したようだ。
が、後世にここまで残してもらえれば文句はあるまい。
旅の最後は八田知家の最初の領地の可能性がある玉川村。
那珂郡八田村→玉川村→大宮町→常陸大宮市東野と地名は変化。
ここに八田舘があったといわれる・・・。
確かに下館の八田舘よりは茂木に近いし地形も同じ八溝山系にある。
まあ、千年近くも前の話だ、謎のままに自由に想像するのもよかろう・・・。
最後に同行してくれた血の繋がった先輩二人に感謝を!
旅の記録2006.2.1 [ルーツ]
勝下の日向寺本家へ。
この槍は南北朝の戦いで使ったものだろうか・・・?
そして柿岡へ走る。
高野伊賀守時家が最後に建てた城跡だ。
柿岡小学校の敷地すべてを含め広い丘の上にあった。
土浦、等覚寺の銅鐘。
八田知家が小田の宝鏡山の裾野にある極楽寺に寄進したもの。
極楽寺が廃寺になり土浦城を経てこの寺にきた。
雨脚が強くなってきた・・・。
小田城址。
この地に城を築いた頃が、我が血の栄華の盛りか・・・?
知重がこの小田城、知氏が田中荘、時家が柿岡城、
知基が茂木城、家政が宍戸城、為氏が筑波山別当と
下野の茂木から常陸国一帯を張った知家の子らが支配した。
我が血は柿岡の時家から日向寺を経て下ってくる・・・。