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旅の記録2006.1.31   [ルーツ]


朝日のあとは曇り。
現在の東金駅を確認して一路北へ。
八街、成田を抜けて、利根川を渡ると常陸の国(茨城県)。
稲敷市南太田(旧河内郡太田村→稲敷郡新利根村)に着いた。


ここが、血の先祖が最後に姓を変えた土地。
藤原→八田→小田→高野→柿岡→日向寺
ここで北畠親房を迎え東国南朝方として戦いはじめました。
東条荘字日向寺と云うのかな?
東条城址は太田中学校跡地から民間企業の手に渡っていました。
神宮寺城から阿波崎城、小田城(親房神皇正統記を記す)、関城と
北畠親房に従い戦い続けたようです。
つわものどもの夢の跡・・・。
この後は更に北上し血の祖先を教えてくれた鉾田市青柳の
江幡彦衛氏(もちろん同じ血をひいています)宅へ向かいました。


旅の記録2006.1.30 [ルーツ]


多磨霊園。
祖父の長兄が眠る・・・。
家督を継いだものの生活と戦争の狭間でもがいた人。


九十九里の海に近い小さな墓地。
祖父と祖母が眠る・・・。
戦争が彼の働き場を失くした。


太平洋に、陽はまた昇る。


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血を辿る旅 [ルーツ]

明日から旅に出ます。
我が血の祖先の足跡を尋ねて歩きます。
東京。
千葉。
茨城。
そして茂木。
鎌倉時代から昭和まで・・・。
心を空っぽにして旅立とう!


お参り [ルーツ]

知家様。
900年の時を経て、あなたが毎日お参りした神社に立っています。

清太郎様。
あなたからは100年が経つのでしょうか?

杉も欅も見事に鎮守の森を成しています。
嗚呼、悠久の時は流れ続ける・・・。


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変遷 [ルーツ]

ここで俺の血のルーツについた姓を整理しておこう。
藤原(怪しいが藤原氏道兼流宇都宮氏の流れとすれば・・・)
八田
高野
小田(高野と後先が逆かも知れぬが・・・)
柿岡
日向寺
田山
星野
田山
會田
となる。(2006年1月13日現在調べ)
まあ10世紀も経っているのだから正否は疑問も残るが、
よくもまあここまで辿れたものだ。


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南北朝 [ルーツ]

先祖は東国に南朝の情宣活動に来た北畠親房を支援し戦い続け、負け続けた。
神皇正統記はこの時に書かれたようだ。
負け続け、神宮寺城(茨城県稲敷市)、阿波崎城、小田城(茨城県つくば市)、関城(茨城県筑西市)と親房に従った。
そして勝折(茨城県鉾田市)に辿りつき刀を捨て庄屋となった。
うーん、我が血は戦に弱い・・・。


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驚愕 [ルーツ]

驚くべき事実を知った。
我が血の祖は八田知家。
その先は源義朝か藤原氏か・・・?
八田知家はこの地に20年余住み茂木氏を興した祖だ。
その7男小田伊賀守時家を経て我が身体を流れる血をくださった。
感慨果てしなく、言葉にならず。


昔の人は・・・ [ルーツ]

昔の男は良かったのか、悪かったのか・・・。
ひい爺さんは子どもが11人。
茨城県S村で6人、T村で1人、栃木県M町で4人。
流浪いながら二人の嫁との間に11人もつくった。
それだけで感動していたら、その中の1人、俺の爺さんは・・・。
入籍が7人で育てたのはプラス1人で8人と知って吃驚!
群馬県K村に養子に入ったときに子連れの女の婿になる。
そしてK村で1人、東京のF区で1人、K村に戻って1人つくる。
ここで死別して離縁。
次の嫁(俺の婆さん)との間に3人。
そして極めつけは自分の息子(未婚)の子を入籍してしまう。
やはり嫁は二人で流離いながら8人の子。
茨城県S村、T村、栃木県M町、群馬県K村、東京市F区、
群馬県K村、東京府T町、東京市K町、O町、千葉県K町と
流れ流れて亡くなっている。
なんなんだ、こいつらの人生は!
残された子どもたちは例外なく大変な苦労をして
戦争、戦後を生き抜いてきた。
もちろん、夭折、戦死したものたちもいた。
でも、それが正しいのだろうな・・・。
精子と卵子には世に出る機会を出来るだけ与え、
生き残った強い子が、子孫を残していく・・・。
生物学的には二重丸なんだろうな・・・。


爺さん [ルーツ]

清。
母、清太郎の最初の嫁は、まさと云うがどこの人かはわからない。
清は二人の子として多分、鉾田で生まれている。
光圀公お手植えの松があり、庄屋だったと語り継いでいるのだから・・・。
兄「雄」との二人兄弟だと思っていたら、除籍謄本に三男とある。
うーん、誰か一人幼くして亡くなったか養子に出されたか・・・。
そして清も小さい頃に養子に出される。
群馬県利根郡片品村、そう今はスキー場で有名だ。
星野姓となり、そこで最初の妻をもらい二子をもうけている。
そして、何故か片品村を飛び出し上京する。
そこで子をつくり、星野から離縁の届けを出し一旦兄「雄」の籍に入り、
そこから出てかたちで田山姓の筆頭者となっている。
昭和17年 離縁 9月
清次誕生 10月
筆頭者 12月 嫁はつねと云う。
その間わずか三ヶ月の早業だ。
兄「雄」の籍は東京氏小石川区表町?
清次の記憶には生まれて住んでいたのは北区滝野川、
「雄」は目黒区大岡山にいたはずだがな・・・とある。
???調べてもわからない謎であろう・・・。
そして、次男、三男をもうけ滝野川を出て、
片品でつくった娘の嫁ぎ先に転がり込む。
南砂町、北砂町と移り住み、戦争がひどくなって、
嫁の実家、千葉の九十九里へ疎開し住み着いてしまう・・・。
これは父の記憶なので間違いのないところ。
九十九里は俺の幼い頃の毎夏の想いでの地だ。
激動の人生だと思う・・・。ご苦労さま。
ところで取った除籍謄本には四男「五朗」まで記されていた・・・。
謎は更に拡がっていく・・・。
言葉が足りていないので解り難いのはご容赦ください。
俺にもたいへん解り難く、年を計算しながら想像を織り交ぜ、
ようやく、ここまで辿りついたのです・・・。
目標は生まれた鉾田の地を見つけること!
まだまだ続きます、頑張ります。


予告 [ルーツ]

爺さんの除籍謄本をとりました。
何?これ?
出生までは辿れてないけど、
親父の知らない事実もいくつか・・・。
うーん・・・激動の時代によく頑張って生きたよ、爺ちゃん!


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